頭の中の整理(本離れ1)

(序)

 さて開始するわけだが、誰かに読んでいただこうという書き物ではない。

 最近ぐるぐると頭の中を巡っていることを外に出してすっきりさせたいのと、頭の中だけでは妄想に過ぎないからである。出したところで妄想に過ぎないのではあるが。

 

 毎日…というとハードルが高いので、頭からあふれた分を載せられればなと考える。本当にはみ出したものだから、ジャンルはごっちゃだろう。そのうち書いたものも整理が必要になるかもしれない。

 

〇初回ということで趣味に関係するグルグルを一つ。

 昨今「本離れ」が問題らしい。確かに出版社も本が売れなければ事業の継続が難しい。様々に考察されているが、金銭的な余裕とか忙しさが起因しているというものが多い。確かにそうかもしれない。私は自覚している活字中毒者なので、違うかなと思っても否定はできない。

 

 ただ他にも理由があるのではないかと思っている。それは失敗したくないという考えと本屋の成熟である。

 

 

1 失敗したくない

 スマホの普及で情報検索が格段にやりやすくなった。また、受け取る情報量も多量になり、玉石混合を判断する範囲が身近から全世界に拡大している。自身に有意な情報も大量に取得できるようになった事とともに、危険も身近になってしまった。昔は自分で歩けば検証できたものも、その範囲が広大に及ぶにあたり、検証を他人に委ねるようになってきている。私もそうであるが、何か始めようとするときに、ついその事を検索してしまう。なぜなら失敗したくなからだ。

 時間がないから?いや違う。無駄な時間は恥ずかしくなるぐらいある。どちらかというと自分が費やした時間に対してのリターンがマイナスであることが嫌なのだ。

 さて、ここで本離れに戻すと本を読むことはリターンを期待し辛いと言える。

 まず新刊本を購入すると、ハードカバーでは1000円を超える。スマホゲームなどが遊ぶだけなら無料であったりするので敷居は高い。

 読み終えない限り判断できないので、読み切る必要がある。途中をすっ飛ばすこともできない。また、長編小説ではぶつ切りで売り出すわけにもいかない。長編小説は序盤の苦しい場面を後半挽回する展開も多い。そのため、よほど信頼できる作家さんではない限りぶつ切りでは読むことを前半で諦めてしまう。昨今、投稿小説が脚光を浴びているのは、無料である事と、どこででも辞められる自由があるのが大きいのだろう。

 最後に読了後である。(読んだ自身が)評価できる作品であればまあ良い。また同じ作家の、ジャンルの本を読みたいと思うだろう。ただし、その結果が箸にも棒にも掛からぬものであったり、あまりに酷いものであった場合には反動は非常に大きい。逆にまたスマホで申し訳ないが、そういったゲームは掛けたものに対して大なり小なりのプラスが返ってくる。まあ最終的には(費用も時間も)掛け続けなければ期待するリターン(満足)が得られないと知って離れるのだが、短期的に失敗しないという意味では本は劣ってしまう。

 

 次項の本屋の成熟も上記を助長すると思うがそれについては、また明日書きたいと思う。